「織姫さん」。
からむし織体験生のことを昭和村のひとたちはそう呼びます。体験生を終えた後も村に残ってからむしに携わる女性たちもまた、「織姫さん」。親しみのこもったこの呼び名が私(筆者・中條)は好きです。
織姫さんたちの昭和村との出会いはさまざまです。ある方はこんなふうに語ってくれました。
「からむし栽培がこの村でいとなまれ続けていることを、前から知ってはいたけれど、そのときはまだここに来ようとは思っていなくて。あるときふと思いついたように、電車とバスを乗り継いで、この村にやってきた。」
「駅からの道中はバスの運転手のおじさんが声かけてくれて、『昭和村ははじめてで、からむしを見に来ました』って言うと、いろいろと丁寧に教えてくれて驚いたっけ。
窓の外に広がる景色も穏やかで、緊張していた気持ちも自然とほぐれていった。集落に入ると、顔見知りを見つけるたびに、おじさんは挨拶を交わしてる。この村に流れる時間と何気ないやりとりが、なんだかとても懐かしい感じがして、『ここなら私、だいじょうぶだ』って。
着く頃にはもうすっかり、この村なら暮らしていけると、確信めいたものを持っていた。
織姫に応募して、秋に村で面接を受けて、次に来たのは半年後、いよいよ引越しのゴールデンウィーク前になってから。そのころでも昭和村には雪もちらほら残っているし、まだまだストーブやこたつは手放せない。桜も堅いつぼみのまま。村の春の寒さにびっくりしたことを覚えてる。
ふと気がつくと心まかせのこれまでがおかしくもなって。ここからはじまる共同生活、うまくいくかな。からむしのことも、実はあんまり知らないけれど。やっとそんな心配を抱いたのは、慌ただしく引越しを終えてから──。」
はじめての田舎暮らし、そしてはじめてのからむし。期待と不安、いろんな感情を伴いながら、5月の連休を過ぎる頃、いよいよ、からむし織体験生の1年がはじまります。
連載初回となる今回は、「織姫さん」として最初に体験するからむし栽培のお話を軸に、昭和村のことや、「からむし織体験生『織姫・彦星』事業」についてお伝えしていきます。
途切れることなく受け継がれているからむし栽培地、昭和村
昭和村──正確には「福島県大沼郡昭和村」は、「会津」と呼ばれる同県西部に位置し、周囲を山々に囲まれた山村です。
昭和のはじめに、旧野尻村と旧大芦村が合併してできたことから、名前は昭和村。ゆるやかな川の流れに沿って集落と田畑が点在し、ブナの天然林に覆われた、豊かな水を育む風土が広がります。
夏は短く、冬になると2m以上もの雪が降り積もる豪雪地帯。平野部のような農作物の栽培には適さない冷涼な山間地帯のこの村にとって、からむしは300年以上も昔から、生活を支える糧(換金作物)であり、なくしてはならないものでした。
「からむしだけはなくすなよ」。昭和村の家々では、いつしかそんなふうに言いながら、親から子へ、子から孫へ、代々守り継がれてきたそうです。
からむしは苧麻(チョマ)とも呼ばれ、衣服の原料となる植物です。茎の部分から、透けるように薄くしなやかな繊維が引き出され、「上布」といわれる上質な布地づくりに用いられてきました。
古くは縄文土器の模様をつける縄としても使われ、『日本書紀』には栽培を奨励する記録が残されるほど、日本人にとって馴染みの深い植物でした。
けれども、いまの時代に「からむし」という言葉を知るひとは、どのくらいいるのでしょうか?
昭和村のからむし栽培工程
今年、からむし織体験生として村を訪れたひとりの女性は言いました。
「糸をつくって服をつくるって、生きていくのにすごく大切ないとなみだと思うんです。昔のひとはどんな気持ちでつくっていたんだろうって。そうした作業はとても原始的だし、神秘的。だから、からむし織体験生に応募をしました。土から糸をつくる場所は、昭和村以外には探しても見つからなかったから──。」
からむし焼き
織姫さんが村に来て最初に体験するからむし栽培のビッグイベントが、「からむし焼き」。
しぶとく残っていた雪も解け、ようやく草木が芽吹き始める5月の小満(*1)。の頃、昭和村では、からむし畑に火を入れます。
(*1)小満:二十四節気のひとつ。立夏から15日目で、陰暦5月21日頃
からむしは多年草です。連休明け、あたたかくなってくると自然と発芽します。からむし焼きはその芽を焼き揃え、成長を均一にさせることによって、少しでも高品質な繊維を得るための工夫。同時に雑草や病害虫の発生を抑える効果もあるのだそう。
火入れが行われるのは日が暮れる頃。
今年の火入れはとりわけ遅く、あたりはもう薄暗くなっていました。風のせいです。
はじめてのひとたちはいつ始まるんだろうとソワソワ。でも、村のお年寄りは動きません。風がやむまでジッと待つ。やがて、「いいだろう」のひと声。風向きに十分注意を払い、畑に敷き詰められた焼き草の端から火を入れます。
最初はためらいがちだった火の手が、気がつくと波のようにうねる炎に。夕暮れの山並みを背にしたその姿は幻想的ですらありました。
からむし焼きは昭和村で昔から行われてきた生産技術の一つです。ここでは、「結(ゆい)」という、ひと同士の結びつきが、とても大切にされます。とりわけ火入れは危険を伴い、とてもひとりでできることではないため、他人の畑でも協力して行います。お互いに手を貸しあうことがあたりまえの感覚は、雪国だからでもあるでしょうか。
からむし栽培は、季節の歩みに身をゆだねて暮らす、昭和村ならではの独自の文化を目の当たりにする機会でもあります。
刈り取り・からむし剝ぎ・からむし引き
6月末、からむし焼きからひと月ほど経つころ村を訪ねてみると、生育したからむしが、畑を取り巻く萱(かや)囲いと同じくらいの背丈になっています。
萱囲いも昔からのやり方。火入れの翌日に、畑の周りに杭を打ち、その間をびっしり萱で覆います。風に煽られて若い芽がこすれて傷つけあわないように。また、小動物が畑を荒らさないように。
ひともまた畑には一歩も立ち入りません。からむしの成長を、ジッと待ちます。
そうしてさらにひと月、7月下旬。夏の土用(*2)。に入ると、からむし畑の刈り取り作業が一斉にはじまります。この頃からむしは、ひとの背丈を越えて、2mほどに成長しています。
(*2)土用:五行に由来する暦の雑節。立夏・立秋・立冬・立春の直前約18日ずつを指す。
刈り取りは早朝。茎の太さや状態を判別しながら、一本一本鎌を使ってひとの手で刈り取ります。からむしは鮮度がとても大切。あとに続く「からむし引き」の進度を考え、その日引ける分だけを刈り取ります。刈り取ったら丈を切り揃えて束ね、山から流れる清水に数時間浸します。
水からあげたら、まず「からむし剝ぎ」。茎を覆う薄い表皮を素手で剝いでいく作業です。
茎を割って、表皮を上下2枚に裂き、真ん中の硬い芯(苧殻・からむしから)を取り除いていきます。作業は素早く丁寧に。「次の工程を行うひとが少しでもやりやすいように」、ひと手間を惜しまず。剥いだ表皮はもう一度清水に浸し、いよいよ「からむし引き」の工程です。
からむし引きは、まるで魔法のよう。
植物らしく緑色をした表皮から、次々と「きら」と呼ばれる青白く光沢のあるリボン状の繊維が引き出されてきます。
作業はいたってシンプル。
長細い木盤の上で、表皮に刃をあて、厚めの緑色をした部分をこそげとります。刃をあてた瞬間の「ぱきっ」という音がなんとも小気味よく、「シュッシュッシュッ」と緑部分をこそげとる作業はじつにリズミカル。植物から布地の素材へ。からむし引きはその変化の最初の一歩であり、一番かなめの工程です。
言葉で書くと簡単そうですが、実際には熟練の技が必要とされる作業です。多くの織姫さんたちは、なによりもこの作業に魅了されて体験生終了後も村に残ると言います。
「植物からこんなにも綺麗な繊維が引き出せるなんて驚いた」
「姉(あね)さまたちの引くように、私も引けるようになりたい」
「からむし引きの期間はトクベツ。朝から夕まで、これしかしないから」
「ああいうの引いてみたいなぁ。いいからむしを育てたいなぁって──」
出荷・糸績み・機織り
秋になると、とりわけ質のいい「特上」のからむしは新潟へと出荷されます。
からむしが昭和村の大事な換金作物として守られてきたのは、上布のなかでも最高級として知られる越後上布・小千谷縮の原料とされてきたからでした。
その一方で、昭和村でも、からむしの糸づくり、そして機織りが営まれてきました。
これらは、雪に閉ざされる冬のあいだの作業とされます。手元に残るからむしの繊維はまだリボン状のまま。それを糸の細さに裂いて、つないでいく。ひたすらにつないでいく。これを「績む(うむ)」といい、糸づくりは「糸績み」ともよばれます。
黙々とした作業です。しんしんと降り積もる雪の静けさとリンクするかのように、黙々と、ただひたすら。
「苧桶(おぼけ)」と呼ばれる曲げの容器いっぱいになったら、糸車で糸に撚り(より)をかけます。そうしてやっと機を織る。それもまたひたすら。
糸績みと機織りは、長い昭和村の冬に文字通り寄り添う作業なのです。
昭和村では、夏のからむし引きも、冬の糸績みと機織りも、すべて女性の仕事とされてきました。
同じ作業を繰り返すひたむきさに貫かれたそれらのいとなみには、この村で暮らす女性の生き様を見るような気がします。
からむし織体験生「織姫・彦星」事業とは?
昭和村の現在の人口は、おおよそ1,300人。
田んぼや畑、道端ですれ違うひとの多くは70歳を越えるおじいちゃん、おばあちゃんです。時代の変化とともに、「同じ苦労はさせまい」と、親たちは子どもを村外に送り出し、村の過疎化は急速に進んできました。
その一方で、役場や農協、からむし栽培農家などを中心に、からむしを村のアイデンティティとして位置づけ、ふたたび活気を取り戻そうとする努力が重ねられてきました。
そうしたなかで、平成6年(1994年)にはじまったのが、「からむし織体験生『織姫・彦星』事業(通称・織姫事業)」です 。村外の若いひとたちに呼びかけ、1年間の農村体験とともに、からむしの栽培から機織りまで一連の工程を学んでもらおうというプログラムです。
今年の24期生を含め、これまでの参加者は113名。
うち31名が、家庭を築いたり、仕事を得たりして、いまも昭和村に暮らし続けています。引退されたからむし生産者の方から、畑を継承する織姫さんも少しずつ増えているそうです。
村に残ったいきさつについて、ある織姫さんはこんなふうに語ってくださいました。
「織姫として昭和村で1年暮らし、気がつくといつしか自然な形で、脈々と続く螺旋のなかで、私も一緒に生きていきたいと思うようになっていた。というより、そんなふうに生きるようになっていた。
それはからむしがまさにそうだから。土から一枚の布が織り上がるまで、全部がつながっているの。
はじまりから終わりまで、想いが一貫したものづくり。それが、昭和村のからむしの価値だと思う──。」
迷ったら、とりあえず来てみたら
今年もすでに、平成30年度(第25期) 「からむし織体験生『織姫・彦星』」の募集が始まっています。
募集期間は10月31日まで。
ある織姫さんが言いました──「『体験』というのがよかった。迷ったらとりあえず来てみたらいいと思います」。
自然の巡りとともに、土を育て、糸をつくり、布を織り上げる。そんな暮らしに興味のある方は、昭和村を訪ねてみてはいかがでしょうか。ふらっと、電車とバスを乗り継いで。
ちなみに……村では「織姫さん」だけでなく、「彦星さん」も絶賛募集中です!
尚、5月に行われる火入れや、からむしの刈り取り、からむし引きなど、一連の作業見学は、一般に公開されているものではありません。観光や見学を希望される方は、7月に行われる「からむし織の里フェア」や、2月に行われる「からむし織の里雪まつり」にご参加ください。
参考文献・資料:
『苧麻・絹・木綿の社会史』(2004)著・永原 慶二
『織姫が舞い降りたからむしの里 昭和村』(2012)著・羽染 兵吉
『昭和村のからむしはなぜ美しい からむし畑』(2014) 発行・からむし工芸博物館
『文字に見るからむしと麻』(2015) 発行・からむし工芸博物館
(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)
文章:中條美咲
編集:小山内彩希
写真:タクロコマ(小松﨑拓郎)、伊佐知美
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